●の淵まで追い詰められた時の話
どうも二等水兵です。
ランニングの話から一気に重い話になります。
3月14日
一般的にはホワイトデーと言われる日ですが私の誕生日でもあります。
今年で19歳になります。そこでふと嫌な記憶が蘇ってきました。そこの話をさせて下さい。
※ここから先は人によっては陰気で重いと感じる場合があるのでそのような話が嫌いな方はここで引き返す事を推奨します。※
ある程度の生い立ちは割愛します。
始まりは高校卒業、私は実業高校の出身ですので学校全体の方針的に進学<就職に力を入れていました。
私も就職するつもりで入学したのでその点は特に問題はありませんでした。
ただ就職先は迷っていました。これでも学科内では優秀な部類の生徒だったのでありがたいことに就職先に困ることはなかったです。ただなにを思ったか私が勉強した分野とは無縁の業界に就職しました。
本気で「人を守りたい」気持ちが大きくなっていき最終的に自分でここを選びました。
そして4月から新人教育隊に入り毎日正しくボコボコにされながら前期は乗り越えました。
問題があったのは後期の方でした。後期は超簡単に言うと専門分野に特化して学ぶとこです。
そして私はここで自衛隊内で最悪と言っていいほどの失態を犯しました。詳細の記載は控えさせてもらいます。
唯一言えるのは「懲戒処分」になっていた事です。(公務員に対しの罰の中で一番重い)
結果から言うと処分はなかったです。
新人期間である事。
当時の上官からある程度評価していただいた事。
ここで話が終わればどんなによかったか・・・
同期が私が犯した失態を許さず(勿論私にも落ち度はありました。)
文字通りのイジメを受けました。
人の扱いなんてまるでされない。
「辞めたい」といえばそれはそれで
『外の世界でお前ごとき何が出来るの?』と言われる始末。
とはいえ簡単にイモ引くほど私も落ちぶれていません。
出来ることは全てしました。
自力で思いつく打てる手は全て打ちました。
そしてついに体にガタが来ました。
食べたものは全て戻す。
夜中に覚醒する。
睡眠不足になる。
この繰り返し。
毎日考えていました。
「辞める」
「脱柵する」(いわゆる脱走です。)
「自●する」
「それならせめて部屋の中でみせしめで・・・」
そんな事をひたすら考えていました。
それでも逃げずに正式に手続きを進めたうえで退官。
半年もやりきれないゴミみたいな元自衛官です。
自衛隊に就職すると親に話した時人生で一番派手な喧嘩をしました。
啖呵切ってこのザマ・・・笑えますよ、ほんと・・・
今でも迷彩柄や自衛官の人やそれに関連付けるものを見たり聞いたりすると今でも吐き気が止まりません。
地元に帰り私は友人や恩師の元に行きました。
辞めたことを肯定してほしかっただけですよ。
しょーもないメンヘラと同じです。
聞きたい答えは自分の中で決まっていたのに第三者にそれを肯定してほしかった。
ただ聞いたら
「反撃もせずに帰ってくるとか情けないことするなよ」
「無様だね」
そう答えた友人がいました。
その友人なんと私に自衛隊を強くおすすめしていました。
「お前なら自衛官に向いているよ!」
「お前がムキムキになっているのが楽しみだ」
とか
ちなみにその友人は大企業に就職しました。
ぶっ●したいと本気おもいました。
親の期待には答えられず
就職先でボロボロにされ
最良の方法だと信じて選んだ道を否定され
一時期無職になっていました。ほんとダサいっす・・・
今は別の会社に就職しており覚えることが多いですがそれなりにやっています。
正直、自衛官は大大大大大嫌いです。 ●気を覚えます。
ただあの人達のお陰で日本の平和を維持している。
災害には自らの危険を顧みず助けてくれます。
非常事態なら私のような落ちこぼれでも。
新人教育から陸曹教育などなど生き抜いた方たちは心の底から尊敬しています。
私の人生で金輪際関わりたくない職業の一つですが。
誕生日にとんでもない事を思い出してしまい、感情が爆発しそうだったので書かさせて頂きました。
ここまでの話を聞いて頂き誠にありがとうございます。
今後はマラソンやコスプレ、ランニングの練習内容等々明るめの内容で更新します。
引き続き二等水兵をよろしくお願いします。